2016年5月23日月曜日

【コラム】殺しを正当化するという殺戮の呪縛から逃れられないビデオゲーム達



現在、誰も殺さなくて良いという触れ込みのゲームを遊んでいる。
そのゲームは全員殺しても良いし、程々に殺しても良い。
或いは不殺を貫き通しても良い。

そのゲームはどれだけ敵を殺したかでシナリオ・エンディングが大きく分岐する。
開発が想定しているルートとしては程々に殺してクリアするのが最初だ。
そのルートをクリアすると謎は殆ど解けずにすっきりしない終わり方を迎える。
次にゲームのキャラクターが、
「大団円を迎えたいのであれば、次のプレイでは是非不殺を貫き通してみよう」
とプレイヤーに訴えかけてくる。

勿論プレイヤーはそれまでの展開を見ていると不殺を貫き通すだろう。
そして不殺を貫き通したご褒美だろうか、殆どの謎は明かされ、
物語はこれ以上にない大団円で幕を下ろす。

だがエンドロールの後に、ゲームのキャラクターが登場してこう言う、
「全てを殺せ」 と。